私が卒業したのは東京都世田谷区池尻中学校。私は7回生です。昭和23年、24年生まれの団塊の世代、ベビーブームで学校が足りなくなり新しくできた中学校でした。隣接する世田谷公園もできたばかりで立ち木もまばらで土ぼこりのたつ殺風景な公園という感じで、まわりには団地や自衛隊病院があり、静かな住宅地でした。
今では公園は緑豊かになりフリーマーケットや様々なイベントが開催される会場となっています。そして今周囲にはおしゃれなカフェやレストランなどが立ち並び、若者たちに人気のスポットとなりました。池尻中学校は2004年3月に廃校となり、今は世田谷ものづくり学校としてデザイン、建築、映像、食、アート、ファッションなど様々な分野のクリエーターたちに教室を開放し、ワーキングスペースとして機能してるそうです。
さて、この中学の同期生が毎年5月に池尻からほど近い三軒茶屋に集まります。なんと今年で47回目で池中五月会といいます。毎年集まる人数は2~30人。皆でわいわいと食事をしながら近況を報告しあいます。昨年、今年と続いてアメリカからの出席者もありました。皆古い卒業アルバムを会場に持ち込んできては今の顔とアルバムの写真の顔を突き合わせては互いに確認しあいます。毎年会ってる人は現在の風貌を覚えているので問題はないのですが、初めて出席の人の場合は卒業アルバムがなければどこの誰だかわからないと言うことになります。
女性はわりと面影が残ってるようですが、男性は禿げたり太ったりでまったくわからない人もいるんですね。それでも今の60代は昔と比較するととにかく若く、皆結構スマートで溌剌としています。この後5年くらい先が変わり目かなー? 一番凄いのは先生です。御年92歳。昨年までは超お元気で毎週二回テニスをするぐらいだったのですが、今年は残念ながら体調をくずされ欠席でした。来年はきっとお目にかかれると思います。なにしろあのパワー、というより自然体かな。若い人とテニスをしたり奥様と散歩をしたりと、楽しく節制し規則正しい生活を心がけてるとおっしゃってました。私たちが中学生だったころ、先生はおいくつだったのだろう、凄く年配に思ってたけどまだ40代だったんだなぁ~、今私たちは60才をこえて不思議な気持ちです。
同病相哀れむ
この池尻中学校の7回生の同期会五月会ですが、最初はもち回りで幹事を皆順繰りにやってましたが、いつの頃からか地元の池尻や三軒茶屋に住む男女1名づつが常任幹事になってくれて、毎年日時、会場、二次会の設定、案内状の作成などをやってくれてます。一年がたつのが本当に早く、そしてポツポツと亡くなる人が出てきたりして歳なんだなぁーと思ったりしてます。亡くなった人たちの中には私の初恋のひともいて・・悪性リンパ腫でした。池中始まって以来の秀才といわれ、教育大学付属高校から京都大学へ進み、食品の研究者となり3人の息子の良き父であり夫であった人でした。享年54歳でした。
同じ沿線に住んでいたこともあり、年に一度五月会の帰りはいつも一緒でわくわくしたものです。一度幹事も一緒にやり、良い思いででした。今年の名簿をみると男性10人、女性が2人亡くなってました。やはり男性が先に逝くんですね。
会が始まるとそれぞれ男性たちの病気自慢が始まります。俺は血圧が高い、俺は糖尿、やれ腰が痛いの膝が痛いの、その割には皆全体的には大いに元気です。幹事をやってくれてるI君、すっかり薄くなった髪なのに顔は昔のままでちょっと不思議親父。二次会ではかん高い声でいまどきの歌を熱唱したりします。彼の悩みは右膝。私とまったく同じ症状で時々カクンと脱力、ピキーンと走る痛み。彼は10年くらい前に歯を磨きながら降り積もった雪を見ていて階段から落ちて右膝をひどく痛めたとか。
私は脳血栓で左半身がとにかく弱いわけですが、やはり弱いところや痛めたところに、ある年齢を超えると問題が出てくるんでしょうか? 筋トレ方法とサプリメントの効果を伝授しましたが・・・やるかなぁー? 食べるかなぁ? I君、来年どうなってるか、お楽しみ。
【関連ページ】
吉祥寺のこと、膝のこと、肌のこと(次回の投稿)
歩けるってありがたい(前回の投稿)
プロテオグリカンってなあに?
プロテオグリカンのここがすごい!
【公式Twitter】
ツイッターでも、膝関節のことをつぶやきます。